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横浜「絹の道」物語 5

 2  横浜「絹の道」の誕生

甲州街道の宿場である八王子は、関東平野の西端に位置している。小仏峠を越せば甲州盆地である。ゆったりした平地で多摩川にも近いことから、八王子は水運・陸運の結節点として大いに賑わった。八王子地域は、東京西部きっての物資集散地そして加工地であった。
信州・甲州から甲州街道を経て運ばれてくる物資、五日市・青梅から秩父地方に至る物資、多摩川の水運による物資が八王子に集まり、再び街道や水路で遠く江戸・日本橋までにも送られていた。

江戸・日本橋は別名を江戸湊という。隅田川の河口にあたる江戸湊は、上方(関西)や東北・北海道からの廻船、通称千石船の終着点である。また、関東平野の中小の河川の水運により関東平野の産品も集荷されてくる。全国各地の産品が江戸湊に集積され、日本橋の無数の蔵に保管され、取引後に再び全国各地へと送られていくのである。日本橋・江戸湊は関東最大の流通拠点であった。
甲州や武州の名産であった生糸もまた、陸路で八王子に集荷された後に、多摩川の水運又は甲州街道によって江戸・日本橋の生糸商人のもとへと送られていた。八王子で取引される品質の良い生糸は、菱垣廻船などの海運によって、大阪を経て京都西陣などに輸送され、高級呉服の生地に加工されるのである。

横浜開港の初期、輸出用の生糸は江戸・日本橋の商人により水路で横浜へ運ばれていたといわれている。八王子から日本橋の問屋街に一旦送られてから、江戸商人の手で東京湾の地回り廻船を使い、横浜の生糸売込商の基へ輸送されたわけである。開港当初、何が輸出商品として有望かを模索している段階では、多様な商品を取り扱う江戸・日本橋の商人は有利であった。多くの輸出用商品の一つとして生糸は横浜へと運ばれていた。
八王子から日本橋へ、蔵に保管してから再び小型の廻船で横浜へと運ぶのには経費がかかる。戦後の流通革命まで残存していたが、江戸時代以来の日本の流通システムには多数の問屋や商人が介在するのが一般的であった。輸送の経路が長くなり、保管の回数が増えるとともに、各段階で経費と利益が上乗せされる結果、商品の価格は高くなる。八王子から水運・陸運で横浜に到着する生糸の価格も、相当程度高かったことが容易に推測できる。その距離約70キロメートル。日数にして1週間以上を要して、高い生糸が横浜へと運ばれていたのである。

しかし、まもなく生糸に人気が集中するようになると状況が変化する。長く上方の絹織物業者を上客として商売してきた日本橋の商人にとって、上質の生糸を横浜のみに集中的に出荷することは困難でありリスクが高かったのである。商売の基本は信頼である。毎年基本的には同じ品質の商品を同じ価格で取引する。それを長年積み重ねることが商売繁盛の秘訣であり商道徳であった。いわば水もの欧米相手の輸出に重心を動かすことに大店であるがゆえの抵抗があったに違いない。横浜開港場での生糸人気に供給が追いつかない状況が生まれるのである。

そこに着目したのが八王子近郊の地回り商人達である。横浜での生糸の高値を知って、八王子から横浜へと生糸の「直送」を始めたのである。八王子で現金で仕入れた生糸を陸路で横浜開港場に直送する。横浜「絹の道」の誕生である。
八王子と横浜とは直線でわずか30キロほどである。八王子から南へ下ると鑓水の低い峠がある。谷間の鑓水村を経て再び丘陵地帯を町田へ、そこからは相模川沿いに一路、横浜開港場に至る道。それが横浜「絹の道」のメインルートと言われている。

「絹の道」の道筋には幾通りかがあったようである。それぞれに競争関係にある商人達が、より早く安く運送するために使った道だからであり、自然発生的に誕生したものだからである。宿場が整備される幕府公定の街道ではなく、主に生糸輸送の荷役だけに利用された道であった。現在、横浜「絹の道」と称され現存する道は、八王子の南の鑓水峠の一部のみである。他は宅地化と区画整理によって全く辿ることさえ出来ないほど消滅してしまっている。

実際「絹の道」の定義は曖昧である。遠く秩父・高崎から八王子へと生糸が運ばれた道を含む解釈さえある。横浜開港場に生糸が輸送された道はすべて「絹の道」と称しても間違いではないが、本論では八王子地域から鑓水村を経て横浜へと至る道をしておこう。

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